生涯をみつめるということ
先日、ある人のお葬式に出席しました。付き合いが増えてくると、お葬式に出る数も増えてくるものです。みなさんも社会に出ると付き合いに広がりが 出て、取引先の人、上司の親御さんなどお葬式に出る機会も増えると思います。お葬式というのは実に不思議な集まりで、周囲は知らない人ばかりです。隣で泣 いている女性も、弔辞を読んでいる人もお互い全く知らない人たちです。故人と自分との関わりの中で出席しているだけで、故人がどんな人と付き合っていた か、どんな家庭生活を送っていたかまでは知らないのです。お葬式は長い生涯のなかで、一瞬の希薄な関わりを故人と持った人たちの集まりと言えるでしょう。
その人の一生のすべてを知っている人はほとんどいないのです。中学時代の同級生なら故人の社会人になってからの働きぶりは知らないし、会社の同僚 なら青春時代は知らない。皆さんは今20歳位、よく知っているつもりのお父さんやお母さんでさえ20年、記憶が残っているころからすると15年ほどでしか ないのです。それより前のお父さん、お母さんのことは知りませんよね。
一人の人生を見届けるのは難しいことながら、見届けることができる存在が実は身近にいます。誰だと思いますか? それはワンちゃんやネコちゃんなどのペットたちです。ペットたちは、子どものころから死ぬまで一生関わりを持つことが出来ます。家族の一生でさえ見届ける ことが出来ない中で、これは実に貴重な体験ですよね。ペットは一生飼い主の傍にいるので、ある意味、その飼い主さんの生涯を映す鏡となりえます。ミラー効 果といいますか、飼い主さんが幸せだとペットも幸せ、飼い主さんが不幸せだとペットも不幸せになる…。短いペットの生涯に自分自身の生涯が投影されるので す。ペットの亡くなり方など診ていると、特にそう思うことが多々あります。その子の一生を考えることが、本当は自分自身を見つめる行為にもなります。こう いったことを心に留めて、ペットの幸せとは何か考えてみてください。
5階にはみなさんがお世話をしている飼育動 物たちがいます。あの子たちはもしかすると死ぬまで、5階の飼育室から出ることが出来ないかもしれま せん。2年という短い間ですが、少しでも長く一緒に遊んで触れあってあげてください。動物は自分自身を映す鏡だということを忘れず、飼育に励んでほしいと 思います。