最期の意思表示
皆さんは、健康保険証をお持ちですか?今はほとんどがカード式に変わっていますので、皆さんも常に携帯していることと思います。
ではその裏面には何が書かれているか知っていますか?そうです。臓器提供意思表示欄があるのです。そこには、
1.私は、脳死判定に従い、脳死後移植のために○で囲んだ臓器を提供します。
(×をつけた臓器は提供しません)
2.私は、心臓が停止した死後、移植のために○で囲んだ臓器を提供します。
3.私は、臓器を提供しません。
と書かれています。あなたに託された最期の意思表示欄ということになりますが、あなたはもう、記入していましたか?
昔は、ドナー登録希望者は、指定された公的機関に出向く必要がありました。ところが今は、こんなにも身近に、簡単に意思表示ができるようになったので す。誰にでも起こりうる「万が一」の事態に備え、生前、命の選択ができる大切な機会であるはずなのに、残念ながら少なくとも私の周辺では、ほとんどの人が 未記入のままであるようです。
ではなぜ未記入のままなのでしょうか。存在を知らないから?もしかしたら「そのうちに」と考えているのかも知れません。いずれにしても不測の事態や結果 から逃げていることに違いはありません。誰にでも起こりうる「万が一」の事態に、自分の行き先を指し示すことは大切なことです。この万人に与えられた権利 を放棄しているのだとしたら、それでもサインをしないまま毎日を過ごせますか?特に医療関係者を志す私たちは尚更です。家に帰って、一度ゆっくりとこの問 題と向き合ってみて下さい。
そしてもう一つ考えてほしいのは、「死の判定基準」という難問についてです。人の死をどの段階で死と認定するのか、またはどの状態になった時、死と認定されたいのかという、これもまた大切な問題です。
例えば動物病院にも瀕死の状態で運び込まれてくる命はたくさんあります。昏睡状態が続く中、「脳死」をもって死とするのか、「心停止」を臨終とするの か。これも人それぞれ、価値基準は大きく違いますから一概には言えませんが、だからと言って、決断から逃げるわけにはいかないのです。
これに付随して臓器移植の問題も忘れてはなりません。日本からも多くの方々の善意に支えられて、移植のために海外渡航する患者さんも増えています。無事 移植を終えて元気な姿で帰国した患者とその家族は、命の危険から生還した安堵からでしょう。みな笑顔に輝いておられます。
ところが私たちがあえて考えねばならないのは、その背景。レシピエント(受領者)の背後には必ずドナー(提供者)が存在して、この命のリレーは成立して いるのだと言うことです。これは単に「賛成/反対」といった簡単な論議で終わることなく、命にかかわる関係者として、尊厳ある生涯のテーマとして考え続け てほしいと願います。