追悼 支え・支えられた命と命

 人の記憶は薄れていくもので、瞬間ひどく心を動かしたことも、記憶になってしまえば原形をとどめないことがほとんどです。そんな記憶の中に、今でも鮮明な飼主さんと2頭の愛犬がいます。今日はそのお話をしたいと思います。
飼主さんは70代、一人暮らしのおばあちゃんでした。愛犬の名はロンとももすけ。ロンは弁膜症で通院加療が必要でしたが、診察の度に大暴れしますので相当 大変でした。おまけに飼主さんも非常に頑固で変わり者。些細な事でも納得がいくまで追求しますので、当然けむたがられます。あちこちの病院を転々とした挙 句に、たどり着いたのがうちの病院でした。どういうわけか、飼主さんも犬たちも私のことは信頼して下さったようで、そのまま患者さんとして定着したのでし た。

 その飼主さんが敬遠されたもう一つの理由は、毎日の電話にあります。日々の観察を逐一報告してくるのですから大変です。患者さんとなったその日から、ロンとももすけの報告は毎日届き、病院に居ながらして把握できるほど、実に詳細なものでした。
 ある日、日課の電話で「フードの色がいつもと違う」と訴えるのです。何と説明しても聞く耳を持ちません。あまりの真剣さに、「念のため」とメーカーに送 りました。すると、通常気付くはずがないほどの微細なプラスチック片が混入していたのです。これには驚きました。また、「うちの子ちょっとおかしい」・・ これもよくある訴えでした。その際も「念のため」と検査してみると、異常値が出てくるのです。見た目には全くわからないことでも、このおばあちゃんは「察 知」するのです。うるさいと煙たがられるほどの姿勢で、この飼主さんは犬たちを守ってきたのです。そのけなげさには胸打たれるものがありました。

 そんなある日、飼主さんの主治医から「検査入院を勧めているが、犬たちがいるからと受け入れない。説得してもらえないか」という電話が入りました。聞け ば心臓が悪いと言うのです。4年ほどお付き合いをしていましたが、そんな持病を抱えていることなど全く知りませんでした。早速連絡し、犬たちを預かること を条件に、入院した飼主さんは検査を終え、3日ほどで退院してきました。
それから半年ほど経った頃でしょうか。今度は飼主さんから再入院の電話があり、「私に万が一のことがあった時は、ロンとももすけを引き取ってほしい」と おっしゃいます。私は即座に承諾しました。切実な心情を察したからです。誓約書まで交わして安堵した飼主さんは翌日入院。そして数日後、帰らぬ人となりま した。

 もちろんロンとももすけは約束通り、私が引き取りました。ところが1カ月後、遠い親戚を名乗る人物から、おばあちゃんの「全財産をロンとももすけに」と 言う遺言が届きました。年金で細々と暮らす年寄りが、どんな気持ちで蓄えたのでしょうか。胸が詰まる思いでした。生涯をかけて愛犬たちを守り抜いた飼主さ んは、死後もそのけなげな愛を貫いたのです。
そして1年後にロンが、また1年後にももすけが息を引き取りました。まるで飼主さんの後を追ったかのような最期でした。支え・支えられて生きていた命が、その支えを失った結果であったと思います。私にも生涯忘れられない別れとなりました。