動物と共に生きるということ
今日は「動物を飼う」・・このことについて考えてみたいと思います。
もう数年来の患者さんで、一人暮らしのお宅で3匹の猫を飼育なさっている飼主さんがいるのですが、まだ若いこの方が突然病に倒れました。容態は思わしく なく、意識不明が続いたのです。そんな中、死を覚悟した親戚の方々が、猫の行く末の相談に私のところにやってきました。とても可愛い猫たちですが、どうし ても貰い手が見つからない。考えあぐねた末、安楽死という結論に達したと言うのです。「何とかならないものか」と一緒に考えましたが、お身内の方々にして も相当悩んだ末のこと。私のところにきたのも、「保健所よりもお世話になった動物病院の方が」と、その方々なりの精一杯の思いやりだったようです。安楽死 やむなしと思い切りました。
ところがそれからわずか3日後、親戚の方から再度ご連絡があり、「引き取りたい」と言うではありませんか。あと数日早ければ助かった命を思い、悔しさを 隠すことができませんでした。安楽死の裏側には、やむを得ない事情がある場合が多く、一つの方法として否定はできません。しかしながら実行側として、後悔 ばかりが残るような状況だけは作りたくありません。本当に残念でなりませんでした。
「動物を飼う」と言うことは、それからの15年間(犬猫の平均寿命)を自覚するということです。皆さんくらいの年代であれば、人生が大きく転換する時期 も当然含まれています。自身の描く人生設計の中で、家族として迎える動物たちの生涯にも責任が持てるか、しっかりと考えてほしいのです。そのくらい気合を 入れて当然です。なぜなら、気合不足のしわ寄せが、必ず動物たちに押し寄せてくるからです。
このことは飼主さんだけでなく、当然プロである私たちにはもっと重責があります。生体を販売する側として、15年間の保障が得られた人にだけ授けて頂きたい。その大切さがきちんと伝えられてこそ、飼主さんは気合を入れて新しい家族を迎える心構えができるのです。
話は飛びますが、うちの病院にキャサリンと名づけた豚がいます。ミニ豚だったはずが、どんどん大きくなって飼えなくなった飼主さんから引き取りました。愛 嬌があって、頭もよく、近所の方々にも愛されています。ではキャサリンと、食用としてと殺される豚の違いは何でしょうか。同じ豚、同じくらいの大きさ。何 も変わりはありません。
こんな矛盾に向き合うことは、この業界では当たり前のことです。動物が好きで、動物の役に立ちたいと希望した仕事のはずが、「人(飼主)のため」がいかに多いかに気づきます。問題はその矛盾という壁を、どう乗り越えるのかです。
幼い頃から動物が大好きだったあなた方が、その気持ちを「仕事」に変えようと志した。「大切な動物の命を守る」ためには、いろんな道があるのだと、学んで いる今、知っていてほしいと思います。そして、「動物と共に生きる」というこの大きなテーマについて、何度も何度も考えてみて下さい。動物のプロを志す一 人として。