感性の磨き方
楽しみにしていたビッグイベント・・海外研修が終わりました。楽しかったですか?
研修旅行中の写真を見ましたが、どの顔も輝いていて、その表情から、楽しくて、充実した研修であったことが伝わってきました。出発前、「写真の効用」と いう講話をしましたが、まさにそのまま。思い出としても、記録としても、その瞬間瞬間がきちんと収められていて、まるで体感したかのような感覚で楽しんで 拝見しました。
写真からも感動が伝わるほどの感動体験ができた皆さんは、きっと学んだことも多かったはずです。「すごい!」と感じたことは、感激と共に深く脳裏に刻まれるからです。
ところで、「最近の若者は無気力・無感動だ」と評されることがしばしばあります。しかし本当にそうでしょうか?私はそうは思いません。もし無感動の若者 が多いとしたらそれは、「感動体験の場が少ない」・・からなのではないかと思うからです。事実、皆さんはそうだったでしょう?
さらに「感動する心」というのは、年々減少していくものであると思います。幼い頃は、空の青さにも、花の美しさにも、もっと心が弾んだように記憶してい ますが、仕事などに忙殺される今、そんな感性はどこへやら。感動に心震えることがなくなった大人の目に、きっと「今どきの若者」として映っているのでしょ う。
ではこうした感性は、必ずや成長と共に自然消滅するものなのでしょうか。そうではありませんよね。誰もが標準装備してきたはずの感性は、環境や毎日の過 ごし方、そして努力によって、どんどん豊かになっていくものであるはずです。例えば、美しい絵画を鑑賞したり、豊かな自然に身を置いたりといったほんの少 し、心を澄ませる時間を持てる心の余裕が、感性をもっと深く、豊かなものへと変えていくのです。
ですが、どんなに「いい環境・いい時間」を過ごそうとも、あとは「自身がどう思うのか」が一番大切です。与えられた時間・環境に大差はなくとも、それぞ れの受け止め方によって、「結果=得たもの」は大きく違ってきます。物事を捉える能力には確かに個人差がありますが、感性もまた同じ。せっかく得た宝を自 身の武器として身に備えることができるように、しっかりと鍛錬したいものです。