生を引き受けるということ

毎日仕事をしていると、疑問を感じることが間々あります。さまざまな事情はあるにしろ、獣医療の背後にある大きな矛盾点です。毎日、老いや病気と闘う動 物たちに接していると、当然のことながら何とかしてこの命を救いたいと思う。消えてしまいそうな小さな命を、チームで一丸となって守る毎日です。

 ところが、逆に、その命を死に導かないといけないこともある。例えば胎児がいる動物の不妊手術です。通常の避妊術を行い、胎児の堕胎もしなければなりま せん。連れてこられた飼い主さんは、まだ見ぬ命であるがゆえに、関心の全ては母親に注がれています。ところが開腹する私たちは、確かに生きている命と向き 合うのです。卵巣や子宮を摘出しながら、胎児を取り出す。一瞬「蘇生しようか」とよぎります。しかしながら、生かしたからには未来がある。15年間という 寿命があるのです。その生をまっとうさせてやれる根拠がないのであれば、その蘇生そのものが意味をなさなくなるのです。罪悪感を抱きながら、結果は安楽死 を選択せざるを得ません。獣医師として非常に悩む瞬間です。

 昨日もその手術がありました。ちょうど学生たちの実習に重なりました。母犬のお腹には1頭の子犬の命が確認されました。「許されるなら自分たちの手で育 てて、15年の生を責任持ってまっとうできる環境を探したい」と学生は言いました。飼い主さんの許可を得て、子犬の育児は始まりました。

 2時間おきの哺乳に体重測定、初乳を全く飲んでいない子犬ですから、観察も怠ってはいけません。片時も目が離せない状況にある命です。決して簡単じゃあ りません。ましてや、そんなに手塩にかけて育てた命なら、当然のように愛情が芽生えます。手放すのが嫌になるかもしれない。ですが、プロとして学ぶのは生 育者としての愛情ではなく、小さな命を助けるためのリレーションであり、その中での試行錯誤能力です。

 こうして処分されるはずだった命は、生への一歩を歩き始めることができました。この命には、15年の責任を果たせる可能性が見えたからです。よくテレビ で、肉食獣が草食動物を追っている場面が流れます。見ている私たちはふと思う。「撮影しないで助けてやればいい」と。しかしながらこれが自然の摂理。むや みに手を差し伸べることの方が悪なのです。

 ペットも同じです。情だけをもって助けてはいけない。その判断ができるような能力を身につけることも大切な勉強です。これから動物業界を歩むあなた方 は、このようにたくさんの命と出会うでしょう。ですが、どれもこれも引き受けてはいけない。「あなた達にしか救えない」命があるのです。どうかそのことを 忘れないで下さい。
命は複雑で難しい。だからこそ尊いのです。