一日が一生の如し
動物病院で毎日どのくらい、動物たちの死に直面するのか想像できますか?病院の来院数によって大きく変わるでしょうが、少なくとも人間の病院よりも死亡率は高いです。理由は、動物の場合、ひどく危険な状況になってから来院するケースが多いからです。
それは飼い主さんの判断にミスがあったからでしょうか?そういった場合もなくはないですが、多くは動物の本能に関係しています。動物はその本能から、 「弱っている自分を見せない」のです。サバンナで生きる野生動物を想像したら容易に理解できます。非力な動物であればあるほど、弱っている自分を見せるこ とが即、死を招くことになると知っています。いよいよだめになってから、やっと横たわり、最期の時を迎えるのです。ペットも同じ。どんなに具合が悪くて も、元気なフリをするのです。それができなくなった時、初めて飼い主さんは「元気がない」ペットを認識する。こうして連れてこられた時には、手遅れの場合 が多いのです。診察に当たる我々は「どうしてこんなになるまでほっておいたのか」怒りすら感じる時があります。でも言えない。悔しくて悲しいのは、飼い主 さんの方だからです。
診察や治療に当たる私たちは、こうした状況下にいつも置かれています。長患いで懸命に治療に当たっていた動物が死んでしまうと、やはり悲しいのです。で もそこで余計な感情移入をしないこと。これは鉄則です。悲しみを悲しみのまま受入れてしまったら、もう次の患者さんに向き合えなくなるのです。こうして我 々は、動物の死に直面する度に、感情をそらす技術を身につけていくのです。決して死に対して鈍感になれというわけではありません。そうすることが私たちの 使命なのです。
昨日もフィラリア症にかかった犬が亡くなりました。外飼育の犬でまだ4歳。飼い主さんのショックは相当なものでした。預かった時すでに危険な状態でした が、結果、「最期を看取ることができなかった」と悔やむ飼い主さん。気持ちはわかりますが、本当にそうでしょうか。「最期の一日」も大切ですが、それより もっと大切なのは、一緒に過ごした「4年間」のはずなのです。
動物はいつか亡くなります。それも突然、実にあっけなく。最期の一日を嘆くのではなく、共に生きる時間が、ペットにとって最高の時間であってほしいと思う のです。でも悲しいかな、元気なペットと過ごしている間は、飼い主さんは気づかない。それを教え・導いてあげられるプロになってほしいのです。
「一日が一生」という言葉があります。そのくらい今日という日が大切だという意味です。今日出会う人、今日起きた出来事・・一日を大切にしようと思うだ けで、この全てが輝いてくるのです。ましてペットの一生は駆け足で過ぎていきます。その貴重な毎日を、どうか「最期の瞬間」に悔やむことのないように、大 切に大切に過ごしてほしい。命を慈しみながら、その存在に感謝しながら・・。